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姉との練習①〜始めたきっかけ

姉とは住んでいる場所も遠く、これまでも日常的にいろいろなやりとりをしていたわけではなかった。

せいぜいお盆やお正月に会った時に話すくらいか。

姉は夫と子供とがいるし、私は独身で仕事をしているので、それほど共通話題もなかった。

でも、一昨年から姉に原因不明の痛みが体のあちこちに見られるようになり、いよいよ家事もままならなくなった。

あらゆる検査を受けてもはっきりした診断がつかず、私はまた姉の怠け病かと思った。

家を建て、子供も小学校へ上がり、あとは家業である農業を手伝うということに専念する時期に入ったから、その仕事が嫌で逃げているのだろうと思った。

そんな思いになるのはわけがあった。

姉は幼い頃から成人になっても、何かで困難を感じると、体の病気を作り出していた。

もちろん自分で作り出しているという自覚はないだろうが、実際に診断の付け難い体調不良によって、その場所を辞めるなどで離れていくことを繰り返していたからだ。

そこから離れると、姉の体調不良はいつの間にか改善された。

このような経緯があり、また姉は嫌なことから逃げているのだろうと思った。

そんな私の思いが変わったのは、姉に「線維筋痛症」という診断が付いたからだ。

この病気は、なった人でないとわからないほど体が痛み、どんどん精神を追い込んでいく場合もある。

苦しみを一人で抱え、自殺をしたりするくらいに。

そんな悲劇があってはならない。

私は少しでも姉の痛みが良くなる方法がないかと探し、書籍や健康食品や幾つかのものを送ったりした。

もちろん、病院でも薬をもらったり時には点滴したりもしていたようだが、一向に姉の痛みは良くならなかった。

私は遠くにいるので直接助けになることは何もできない。

そこで、間接的なことではあるが、姉の話しを聞かせてもらい、少しでも抱えている気持ちの吐き出しになればと思ったのだ。

私自身は自己紹介でも書いている通り、約20年近くカウンセリングを学んでいる。

その学びの場で、自分を語り、相手に聞いてもらうことがどれほど自分の癒しや心の浄化になることかと感じている。

姉とは、話す機会があっても、さらっと挨拶程度の話ししかしないでこれまで来たが、その根底には、私の姉に対する心の距離があった。

姉は困難に直面したら、いつも逃げる。それを親がかばい、かくまう。

そんな親子関係を遠巻きに見ながら、自分はそうはならないぞ、と

どこかで意地を張っていた。

親の手を煩わしたり、心配を掛けたり。

私は姉とは違う、しっかりした妹、という立ち位置でいたかった。だから、困難があると親に保護される姉を私は冷ややかな目でずっと見てきた。

そんな姉でも、これから先のことを考えると、どうにも他人事のように放っておけなくなっていた。

実はちょうど2年前、お盆の帰省を機に姉の新築の家に泊まったとき、私は姉に初めてと言っていいくらい心の弱みを話した。

なぜ話したかは思い出せないが、私の心の鎧がだんだん緩まっていたのだろう。

そのとき、姉は私の話しに共感して聞いてくれたような感覚があったのだ。

その時のことが蘇ると、今度は、私が姉の話しを聞いてあげなくては、という思いになった。

私から姉に歩み寄るしかない。今だからこそ。

電話で姉の話しを定期的に聞くことを提案した。

ところが、いざ電話をつなげると、どうにも姉の話しが弾まない。

私とあまり会話をしたことも、そもそも姉が自分の気持ちを誰かに話すことの経験もあまりなかったから、何をどう話していいのかわからず戸惑うようだった。

どんなことを話してもいいよ、と言っているにもかかわらず。

そこで、お互いに話しをし、聞き合うことを提案した。

「私はカウンセリングの学習なんかしたことないからうまく聞けないよ」

と姉は言った。

私は「それはわかっている。とにかく、途中で邪魔せず、うんうんとうなづいて

聞いてくれればいいから」

私が提案した事は、それだけだった。

そこから、姉との定期的な話しの聞き合い、カウンセリングの練習が始まった。

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