先日、元の職場の同僚と電話で話した。
彼女はもともと、あまりお喋りの方ではない。
だが、彼女の方から話しを聞いてほしいと言ってくるくらいだから
なにかよっぽどのことなのだろうと思った。
職場で彼女が抱える悩みは、聞かせてもらっている私にも
とてもリンクするような内容だった。
ところで、気のおけない人との会話であればあるほど
聞きながら同調めいた思いや自分との比較など
自分のところが出てきやすい。
それが自然だ。
すると、いつまでもいわゆる「お喋り」が続くこととなる。
それはそれで楽しいのだが
あえて、あまり自分から話しを聞いてほしいと言ってくる同僚ではないため
よほどのことがあるのだろうと
私は彼女の言葉に耳を傾け続けた。
彼女が抱えていたのは
他人がどうとか職場がどうとかいうことではなく
自分自身に対することだ。
誰からも責められることもなく、プレッシャーをかけられることもない。
周囲の人たちは極めて彼女に対し温かい。
でも、中堅として本来ならもっと活躍しなければならないはずなのに
それができない自分に対するふがいなさなどだった。
他にも彼女の人生観など深い部分にも触れて話してくれた。
どうしてこの仕事に就いたのか、なぜその分野を目指したのかには
彼女の生き方、考え方、人生への関心、そのようなものが総動員されていた。
私は、彼女の言葉で大切だな、と自分に感じられるところを
できるだけ同じ言葉で伝え返しながら聞かせてもらっていた。
途中で彼女が涙する場面もあった。
翌日、夜に彼女から思いがけずメールが届いた。
「今日は気持ちが軽く職場に行けました」
わぁ、よかった。
決して答えが見つかったわけでも
次にどうしたらいいか、わかったわけでもなかった。
ただただ、彼女自身を話してくれただけだった。
なのに、彼女の心が軽く職場に行けたなんて。
だから私にとって「思いがけず」だったのだ。
不思議ではあるが、不思議ではない、ともいえる。
人は思いを話せて手放せる時、
もともとその人に宿されていた力が蘇ってくるものだからだ。
教えてくれて
私も改めて嬉しくなった。