私はこれまで人間の形をした人形だった。
人形は、自分の意思を持たない。
時に可愛がられ、時に放って置かれる。
それは、相手の都合や気分次第。
相手に可愛がられるように自分を演出したり、
相手の言いなりになることで自分の居場所を守る。
いや居場所を守るために言いなりになることを受け入れてきたことが
私の生き方だった。
自分のエネルギーを爆発させてでも人間になろうとする意思を持っていなかった。
安心より不安の方が多かったから。
そちらの方が楽だから。
自立ではなく依存。
指示されたように動けば、それで安全が守られると感じられた。
疑問を持つことはなかった。思考を持つこともなかった。
いや、正確には持つこともあったと思う。
疑問や考えなど言うと嫌がる言葉から、自分の安全が脅かされると感じ、いつしか持たないのが当たり前になっていた。
不安が嫌だから。怖いから。避けたいから。
子供のころ、いとこが遊びに来ていた。
母がお菓子や飲み物を勧めると
「いや、おばちゃん、いらないわ」と断っていた。
私はそれを見てギョッとした。
私には母の勧めたものを断るなんてことできなかった。
そんな強さはなかった。
このような感覚がしっかり体に染み込んで
指示という強制力なし
動けなくなっていた。
それが私の製造過程だ。
もう人生の半ばを過ぎてはいるが、せめて人間として自分をこの世に放てた実感を持って人生を終えたい。