看護師が言えずにいることで起こること

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先日、看護師の友達との話で
大切だなと思ったことがありました。

 

 

詳細を省いて書きますが
しかしこれは、
がんの終末期であっても難病でも老衰であっても
いろいろな場面に共通するものです。

 

 

生や死にまつわる
最期の場面に関する選択は
準備がままならない状況の時も
もちろんありますが

 

 

 

選択ができる時間があるうちは
プロセスというものが
とても大事になってきます。

 

 

 

 

どのようなプロセスかというと、
ご本人、ご家族と医療者とが
話し合うことの積み重ねです。

 

 

 

まず
いずれ病気がどのように進行していくのか
起こり得る状況を
医学的な見地から説明します。

 

 

 

ご本人の最期に関する意志を確認し
家族も本人の意志が尊重できるかを話し合います。
その内容を記録や書面に残すなどします。

 

 

 

また、話し合いが終わったからと言って
それが決定的なものになるとは限りません。
時に気持ちが変わったり、
揺れ動いたりします。

 

 

 

その時々での揺れも、
話し合いを重ね
時には修正などもしていきながら
実際にその場面を迎えることになります。

 

 

 

 

それでもやはりその場に直面する時には
ご本人もご家族も
これまで思っていたことと
実感するものとの違いに
気持ちが大きく揺さぶられたりもするものです。

 

 

 

そうなった場合、
それまで積み重ねてきた選択を
覆しそうになることもあります。

 

 

 

そんなご家族なり本人なりを支えるのが
そのプロセスを共にした
医療者なのです。

 

 

 

十分な話し合いと
その後の検討
そして選択の時を支える。

 

 

最終的に
これでよかったのだと思う
納得を支えるのです。

 

 

 

支えるのは医療者と敢えて書いたのですが
やはり医師だけでは
難しいものだからです。

 

 

 

その組織の風土・文化もありますが
以前から彼女の職場では、
最終的な選択の話し合いの場面は
医師が主導していたようですが

 

 

 

その際、
看護師は話し合いに入っていない。
もしくは、話し合いの場にいても
積極的もは加わらない。

 

 

 

すると最終決定で、
それまでのご本人の思いが
覆ってしまうことがしばしばあり、
納得のいかないものを感じていたそうです。

 

 
「どうして本人の人生なのに
本人の意向が通らないのか」
ということです。

 

 

 

そのやり切れなさを
以前は医師に
直接ぶつけていたとのことですが

 

 

 

先日彼女が私に言ったのは
「その時は医師に対して怒っていたけど
本当は自分に対する怒りなんだよね」
ということでした。

 

 

 
彼女のいう状況には
様々な倫理的問題が孕んでいると
感じましたが

 

 

 

 

一つは
急な病態の悪化で
予測より早い展開になった時
家族にも医師にも延命措置を続けないことの
罪悪感があると思います。

 

 

 

 

その場合、大事なのは
本人の意向を最大限に尊重しつつ
現在の治療や処置が本当に妥当なのかを
さまざまな立場の医療者が
意見を出し合いながら考えることです。

 

 

 

そしてもちろんご家族とも
話し合います。

 

 

 

しかし、医師だけが最終決定権を
大きく握っているとすると

 

 


その医師の価値観が
患者の意向に反する時
容易にぐらついてしまう可能性もあります。

 

 

 

おそらく、その組織では
長いこと看護師が医師の指示に従う
というパターンが根付いており

 

 

 

あまり医師に物申さない。
一緒に考える機会をあまり持たない。
それがまた、普通だという認識ではないか
と感じました。

 

 

 

とすると、逆にその医師にとっても
責任の多くは自分にのしかかるものと感じ
ぐらついた時
自分の価値観を優先させたり
暗に自分を守る方に向いてしまいやすくなります。

 

 

 

それは患者さんにとってももちろん、
誰にとってもいいことではないはずです。

 

 

 

そこで大事に思うのが
それぞれの立場からの見方、
考えを言い合える組織文化です。

 

 

 

医師に対してだけではなく
病棟の管理者や同僚にも
これはおかしいのではないかと
感じることを伝えられる風土です。

 

 

 

患者さんの尊厳を
守りたいというせっかくの彼女の
大切な視点も

 

 

 

彼女だけが問題視し
どうにもできないもどかしさを
ぶつけていただけなら
結局はどこにも反映されず
なかったことになってしまいます。

 

 

 

しかし、
場合によってはその延命にあたる措置が
やはり妥当だということも
あるかもしれません。

 

 

 

ですが、私たちは
正しいから、強いから
物を言えるのではありません

 

 

 

時には間違いをおかし、正しい判断が
いつもできるわけではない
そんな完璧ではない自分であることを
それぞれが認めながら

 

 

いえ、認めるからこそ
互いに言い合うこと、
補い合い、
助け合うことができると思うのです。

 

 

 

医師に向けた怒りが
もどかしい自分に対する怒りであり
医師も不完全さゆえにそうしてしまう
と気づいた彼女なら

 

 
患者さんにとっての
より良い最期への思いを
より建設的に伝えていけるだろうな
と思いました。