死にゆく患者さんに近づいていく看護の先にあるものとは

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前回書きました
死にゆく患者さんに対しての
看護師の4つの態度のうち

 

患者さんの思いを大切にした
ケアをしようとする
誠実な看護師は

 

 

実践を重ねれば重ねるほど

 

 

 

①逃げの態度(否定的な態度)や
②あきらめの態度(消極的な態度)は
とてもできないことでしょう。

 

 

 

例え
「あの病室に入るのは気が重いな」とか
「もう聞くのが辛いな、嫌だな」とか
思うことがあったとしてもです。

 

 

 

いざ患者さんを目の前にすると
心が自然と患者さんの方に向きます。

 

 

 

そして
内心戸惑ったり
どうしたらいいかわからないような
思いになっていたとしても

 

 
患者さんの揺れる思いを
受け入れたり
患者さんの傍に座る、共にいる
というような

 

 

 

寄り添う看護を
しているはずです。

 

 

 

③受け入れの態度(積極的な態度)
での看護です。

 

 

 

それでいい。
それは患者さんの思いを
大事にし
否定することなく
受け入れていることになるんだ。

 

 

 

と思える看護を
しているはずなのですが

 

 

 

患者さんが
本当に癒されたり
自分の存在が
支えになっているのだろうか
と不確かな思いになることがあります。

 

 

 

しかしこのように
自分が悩むことを繰り返しながら
少しづつ感じ取っているものが
あると思うのです。

 

 

 

それは
患者さんの人生そのものに
触れている
ということです。

 

 

アナムネ聴取の時のような
通り一遍の
生活習慣や職業、
家族を聞いているのではなく

 

 

 

その仕事が
その時間が
その家族が

 

 

その方にとって
人生のどのような位置づけであり

 

 

 

その方にとって
どれ程の
支えや楽しみや
かけがえのなさとなっているのか

 

 

 

あるいは
憎しみや
やるせなさになっているのか

 

 

そこに触れれば触れるほど
近づけば近づくほど

 

 

 

患者さんの望んでいることも
自然と汲み取れるようになっていき
自分が患者さんと
一体になるような
そんな感覚になっていきます。

 

 

 

それは決して
巻き込まれるという
感覚とは違います。

 

 

 

巻き込まれるというのは
自分を見失います。
自分自身がぐらついて
困ってしまう感覚です。

 

 

 

ですが
患者さんの人生
生き方
患者さんそのものに触れ、
近づけば近づくほど

 

 

 

心の底から
この患者さんの力になりたい
この患者さんが
望むようなことをしてあげたい

 

 

 

と思い、
力が湧いてくるのです。

 

 
それが例え、
病棟の中では難しこと
スタッフの足並みが
そろわないことであっても

 

 

 

何とかできないか
何とかならないか、と

 

 

 

そこにエネルギーを
費やすようになっていきます。

 

 

 

それが
疲れないわけではありません。

 

 

 

また
その方の思い、人生
その方自身に触れればこそ

 

 

 
他のスタッフとの
その方への見えようの違いも
出てくることでしょう。

 

 

 

そんな時は
辛い思いもするかもしれません。

 

 

 
ですが、
自分を守りたい気持ちよりも
何とか伝わる工夫をしたく
なるものだと思います。

 

 

 

骨が折れることでもあります。

 

 

 

ですが
この患者さんを代弁したい、
支えたいという思いが
自分の支えになります。

 

 

 

ミルトン・メイヤロフの
『ケアの本質』
という本の中に
以下の記述があります。

 

 

 

「専心は・・・ケアにとって
本質的なものである。

 

 

 

他の誰でもないこの他者へのケアが
実質を持ち固有の性格を帯びるのは
この専心を通してなのである。

 

(中略)

 

専心は他者のために
私がしりごみしたり、
どちらでもよい
曖昧なあり方を示したりすることと
正反対のあり方で

 

 

”そこに”その人のために
私がいる、ということによって
示される。

 

 

 

この方のために
力になりたいという思いが
自分の中から
たくさん湧き出てくるようになるのです。

 

 

 

それが
④引き受ける態度
(さらに積極的な態度、患者から学ぶ態度)
ではないかと思います。

 

 

 

そしてその方との
時間を終えた時

 

 

 

十分なことができたかは
わからないけれど

 

 

 

確かに私は
この患者さんから
たくさんのものを
学ばせて頂いた。

 

 

 

この患者さんとの
時間の中で
私は成長させてもらえた。

 

 

 

おのずとそのような思いが
湧いてきます。

 

 

 

それこそが
これからの自分を支える
かけがえのない
宝物になっていくのです。

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