相手をわかってしまわないことの大切さ

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先日、あるところで
小澤竹俊先生のご講演を聞きました。
どれも感銘することばかりでしたが
あるフレーズが私の心をつかみました。

 

 

それは、
苦しんでいる相手を聞くのは実は難しい。
なぜかというと、相手を「わかった」時点で
話しを聞かなくなるからです、
というフレーズでした。

 

 

なぜそこで心が留まったのかというと、
前日にカウンセリング学習会で
「わからないことの大切さ」を
再確認したばかりだったからです。

 

 

 

誰でもやはり自分をわかってもらいたい、
という思いがどこかにあります。
特に心身の健康を失った時、
深刻な状況に陥り
苦しくてどうしようもない時などは
そう思うことが多いでしょう。

 

 

 

しかし、相手と同じように
先の見えない病気に侵されていたり、
命の終わりを
直に感じているわけではない私たちは
相手の辛さ、苦しさを
同じようにわかることは残念ながらできません。

 

 

 
そう思う時、逆に
「相手のことをどこまでわかってあげられるのか」という、
わかろうとするゆえのこちらの苦しみも
湧いてくることがあります。

 

 

 

一方で、日常では相手の体験を
「わかる、わかるよ」と
理解したことを示すように言うことが
よくあります。

 

 

 
この「わかる、わかった」という言葉になる時、
多くは自分に当てはめて理解した、
ということがほとんどだと思います。

 

 

 

背景には、
自分にも似たようなことがあったからよくわかる、
相手の言っていることは
容易に想像や解釈ができる、
などという時です。

 

 

 

日常でよくある
この「わかる、わかった」の感覚は、
相手の言っていることを自分が納得した
というサインだと思います。
もちろん、それで会話がスムーズになることも、
相手が喜ぶことも多々あります。

 

 

 

しかしそれが時に
相手を本当にわかろうとすることを
邪魔してしまうことがあります。

 

 

もうそれ以上
相手のことを聞かなくてもいい、
という状態になるからです。

 

 

 

ですが、深刻な状況におられる方、
命の限りを感じ
苦しんでおられる方のことを考えた時、
そう簡単に「わかる、わかった」には
ならないはずです。

 

 

 

こちらが理解のできる相手の思い、
体の状態などは、
本当にごく一部に過ぎません。
自分は相手と同じ体験を
しているわけではないからです。

 

 
いえ、たとえ同じ体験をしていたとしても、
その感じ方はそれぞれに違うはずです。

 

 

 

そこでできるのは
「わかりようがないのだけれど、
わからせてもらいたい」

との思いから、関わり続けることです。

 

 

 

これは、
自分から相手の世界に
近づいていく行為
です。

 

 
逆に「わかる、わかった」となっている時、
相手を自分に引き寄せ
当てはめて考えている
といえるのではないでしょうか。

 

 

 

「わかりようのない相手」だからこそ
わかろうという姿勢を持ち続け、
相手の世界に自分が近づいていく時、
そして、その相手の世界を
自分も一緒に感じ入ろうとする時

 

 

相手の方は
「私のことをわかってくれた」
と思えるのだと思います。

 

 

 


 

 

 

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