看護師を続けていくための原動力となるものは

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患者さんの苦しみに
責任を持って寄り添うことができる
この態度が「意」の部分だと前回書きましたが

 

 

 

それが「燃え尽きない」ことになるのか
むしろそのような態度は
「燃え尽きて」しまいかねないのではないか

 

 

そんな疑問が湧き上がってきても
おかしくはないかと思います。
そのことについてです。

 

 

 

よく苦しむ患者さんから
「逃げない態度」
と言うような言葉や言い回しがあります。

 

 

 

逃げない態度の時
看護師は苦しくないのでしょうか。

 

 

 

いえ、苦しいんです。
苦しくないわけはないんです。

 

 

 

人としての共通する感覚があればこそです。
あたかもその人であるかのように
苦しい思いをするのです。

 

 

 

また、そこがなければ
「共感している」とは
言えません。

 

 

 

その「苦しい思い」を
私も共に感じます、ということが
相手の苦しみから逃げないで
責任を持って引き受けるということです。

 

 

安易な励ましなどはとてもできないような
そんな苦しみの中に
共に居続けることです。

 

 

 

患者さんが
話したいと思うことを妨げず

 

 

 

話したくない時、
話せないような時は
静かに側にいる

 

 

 

例えていうなら
そのような態度です。

 

 

 

ですが、
ここで勘違いしてはならないのは
どんなに自分が
あたかも患者さんと同じであるかのような
苦しい思いをしたとしても

 

 

 

あくまでも自分と相手の苦しみは
「違う」という認識を
持たなければなりません。

 

 

 

これは私が感じる「苦しさ」であって
相手の「苦しさ」とは違うのです。

 

 

 

ですから、
どう自分が感じたとしても
やはり患者さんの苦しみを
患者さんと同じように
感じているわけではないのです。

 

 

 

どんなに苦しく感じたとしても
患者さんと同じには
むしろ
どうしてもなれないのです。

 

 

 

「巻き込まれ」と混同しそうな人は
ここを押さえておきましょう。

 

 

 

自分が辛い思いをすることで
患者さんの側に
共にいることができない
などという時、

 

 

 

どこか患者さんではなく
自分の方ばかりを
見ているのではないでしょうか。

 

 

 

話を戻しますが
患者さんにとっては
まるで自分のことのように苦しみを
感じてくれている人がいる
というだけでも救いになります。

 

 

 

そのような人がいてくれることは
その方の支えや癒しになるとともに
その方自身が
自分の運命を引き受けることを
自然と促していきます。

 

 
ですが
こちらが「促そう」とするだけなら
そうはならないでしょう。
誰かが共にいる、という関係があって
そうなっていけるのです。

 

 

また、さらに言えるのは
その人の苦しみに共にいることは
自分がただただ、
消耗していくものではありません。

 
相手が自分の存在によって
何等かの安らぎを得た、
ということと同時に

 

 

 

自分自身もその患者さんによって
学ばせてもらった
成長させてもらった

 

 

 

もっと言えば
私もこの患者さんに
自分自身の存在が
生かされていたんだ
と気づくことができる。

 

 

 

相手に与えているばかりではなく
同時に相手からも
同じようにもらえているという
ケアの双方向性に気づくことが

 

 

燃え尽きることのない
この仕事の原動力
つながっていくのだと思います。

 

 

そのような意味で
相手にしっかり関わろうとする
逃げない態度や
責任を持って引き受ける態度の時にこそ

 

 

看護師として最も成長でき、
充実感を感じられ
燃え続けるためのものを
得る機会になります。

 

 

 


 

 

 

 

 

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